2008.10.17
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ラシード・マシャラーウィの世界:より詳しい作品解説、発言録などを掲載しました!
「アジアの風」部門で特集上映される“ラシード・マシャラーウィの世界”のより詳しい作品解説、フィルモグラフィーや監督の発言録を掲載しました。“ラシード・マシャラーウィの世界”にどうぞご期待ください!
マシャラーウィ・フィルモグラフィーはコチラから
マシャラーウィ発言録はコチラから
【作品解説】
『外出禁止令』(1993)
マシャラーウィの長編第1作。1993年、ガザの難民キャンプ。外出禁止令下に置かれたアブー・ラージーと家族は、不安を抱えながらも隣近所と協力し合い、いつもと変わらぬ日常生活を送ろうと努める。しかし催涙ガス弾が飛来し、呼吸困難に陥った隣家の娘が死去。向かいの家の息子がイスラエル軍に逮捕され、やがては一家にも悲劇が訪れることに・・・。アラビア語原題は『次の指示があるまで』(Hatta Ishaar Akhar)。いつ終わるとも知れない外出禁止令の下で淡々と繰り返されるパレスチナ人一家の日常をスリリングに、時にユーモラスに描き出した問題作。実際に難民キャンプで40日間に及ぶ外出禁止令に見舞われた経験を持つ監督ならではのリアリティに満ちた室内劇である。
『ハイファ』(1996)
1993年、オスロ合意への調印を目前に控えたガザの難民キャンプ。精神を病んだ中年男ハイファは今日も「ヤッファ、ハイファ、アッカ!」と今はイスラエル領となってしまった町の名を叫びながら軍服姿でキャンプ内を徘徊している。綿菓子屋を営むアブー・サイードはある日突然倒れ半身不随となる一方、妻は出所が近づいた長男サイードの嫁探しに余念がない。絵描きになることを夢見る娘のサバーハは、ユーニス少年との淡い恋を育んでいる…。ハイファを狂言回しとして様々な人物のドラマが交錯し、オスロ合意という歴史的な転換期を迎えたパレスチナ人難民の夢と不安、挫折が描き出される。ハイファを演じた名優モハメド・バクリは、『ジェニン ジェニン』(02)『あなたが去ってから』(06)などのドキュメンタリー監督としても知られている。
『エルサレム行きチケット』(2002)
ラマッラー近郊の難民キャンプで妻と暮らすジャブル。子供向けの移動式映画館に心血を注ぐ彼は、数々の検問所に悩まされながらもキャンプを渡り歩く日々を送っている。ある日、女教師ラバーブに依頼されエルサレム旧市街での上映会を企画するが、そこには大きな困難が立ちはだかる。アラブ系住民とユダヤ系住民との確執、ラマッラーとエルサレムの間にある悪名高いカランディア検問所。上映会の行方やいかに…。本作の中で自らの監督作品『ハイファ』が上映されるのが見もの。なお、移動式映画館はマシャラーウィ監督自身が実際に携わっていた活動である。ジャブルの妻役を監督夫人のアレーン・ウマリが好演。エリア・スレイマン監督の『D.I.』(02)でサンタクロースに扮していたジョージ・イブラヒム(パレスチナ演劇を代表するアルカサバ・シアターを主宰する演出家)も出演している。
『Waiting』(2005)
映画監督のアハマドは国外へ移住しようとしていたが、ガザにパレスチナ国立劇場を建設中の友人から依頼され、劇場が完成した後に必要となる俳優たちを探すためのオーディションを開催・録画するはめになってしまう。アハマドは、有名女性キャスターのビーサーン、カメラマンのリュミエールとともに、ヨルダン、シリア、レバノンのパレスチナ難民キャンプを巡る旅に出る。しかし肝心のオーディション会場には、演技とは無縁の人々が押し寄せる。アハマドは苛立つが、やがて異国の地で難民生活を送る彼らと自分自身とが同じ宿命を背負った者同士であることを認識する。そんなアハマドがオーディションの課題に選んだテーマは「待つこと」であった。参加者は面食らいながら、カメラの前でそれぞれの「待つこと」を演じ始める…。「越境」「待機」「映画」といったマシャラーウィ的テーマ群が重層的に絡み合う重要作。
『ライラの誕生日』(2008)
パレスチナ社会の混沌を生きる人々の姿をスケッチし、本年9月のサン・セバスチャン国際映画祭(スペイン)でワールド・プレミア上映されたばかりの最新作。ラマッラーで妻と一人娘のライラと暮らす元判事のタクシー運転手。今日は娘の誕生日だというのに朝から物事がうまくいかない。判事職へ復帰する目処は立たず、出会う人々はひとクセある人物ばかり。法の遵守と秩序を好む彼は、この街の無秩序ぶりが気にいらない。武器を持ち歩く人々、デモ隊、携帯電話の忘れ物・・・挙句の果てにはタクシーがエンストを起こし、イスラエル軍による爆撃騒ぎにも巻き込まれる。誕生日プレゼントを買うこともままならず、怒り心頭に発した彼はとうとう拡声器を手に・・・。マシャラーウィ組の常連俳優モハメド・バクリが終盤でみせるキレた演技と秀逸なラストシーンに注目。
(文責:佐野光子)
【フィルモグラフィー(太字は今回の上映作品)】
1987 Across the Border(短編)
1989 Shelter(短編)
1991 One family: The Price of Bread(TV)
1993 外出禁止令Curfew
1996 ハイファHaifa
1998 ストレスStress(ドキュメンタリー)※山形国際ドキュメンタリー映画祭1999出品
2002 エルサレム行きチケットTicket to Jerusalem
2003 Live from Palestine(ドキュメンタリー)
2005 Waiting Waiting ※アラブ映画祭2006出品
2005 Arafat, My Brother(ドキュメンタリー)
2008 ライラの誕生日Laila’s Birthday
【マシャラーウィ発言録】
マシャラーウィ監督は、国際交流基金主催のアラブ映画祭2006に『Waiting』を携えて来日し、他のアラブ人監督たちとともにシンポジウムに登壇している。その際の発言をピックアップする。なお、シンポジウム全体の採録は下記サイトを参照されたい。
http://www.jpf.go.jp/j/culture/media/domestic/movie/arab2006_4-2.html
政治と芸術
パレスチナの監督は、いつもふたつのことを念頭に置かなくてはなりません。まずはパレスチナという特別な場所に所属するため、政治のことを語らなくてはいけない。一方で、映画祭などで自分の映画が上映されたら、どうしても他の映画と比較されますから、映画人として、芸術としても気を使わなくてはなりません。つまり政治的なことと、芸術的なこと、どちらが欠けてもパレスチナ映画としては成立しないと思います。私は実験的な映画が好きです。映画を政治的な発言をするための道具として使うのではなく、逆に政治的な状況を利用して、いい映画を作りたいと思っています。パレスチナ映画だけではなくて、世界の映画史に何かしら加えることができれば嬉しいです。
フィクションとドキュメンタリー
私たちの状況は、まるでドキュメンタリー映画みたいなものですから、私の映画はフィクションですがドキュメンタリーのように見えます。もちろん意識的にもそうしているのですが、『Waiting』自体は100%フィクションで、俳優もプロです。ふたりくらいはアマチュアでしたが、その人たちも、どこに出るかはちゃんとシナリオに書いてありました。ただドラマの中で、ドキュメンタリーのような雰囲気が出るようにしたいと思いました。映画は、その映画を作った国民に似ていなければならないと思いますから。
難民キャンプをめぐる
私たちパレスチナ人には「記録」が必要です。「資料」が必要なのです。『Waiting』は100%ドラマですから、本当は同じスタジオ、一ヵ所で撮ることが可能でした。ですが私は、それぞれの国の本当の難民キャンプに行って撮りました。そうすることで難民の本当の様子が映画の中に残り、私の映画が資料にもなりえます。私は映画を見ていただいて同情してほしいわけではありません。同情を感じてもらうために映画を作っているわけではなく、映画として楽しめるような作品を作りたいと思っています。同情をひくためでしたら、他の方法がたくさんあります。私は映画を作って、いろんな所へ届け、私が作らなければパレスチナ映画を見ることがない、というような場所までも届けたいと思います。
動けない人々をつなぐロードムービー
『Waiting』の登場人物たちは、映画の中では出会いますが、現実には出会うことはできません。というのは、ガザに住んでいる人はそこから出られないので、地理的には近くても、他の難民キャンプの人々と出会うことは一切不可能です。私たちは現実には動けない、ということです。この映画はいちおうロードムービーですが、それぞれの場所から離れることができない人々をつなぐ、ちょっと変わったロードムービーです。
パレスチナ人のふたつの地図
パレスチナ人は、ふたつの地図を持っているといえます。「地理的な地図」と「人間的な地図」です。国連に行くと、それぞれの難民キャンプを表す中東の地図があります。パレスチナ人は、その広い地図に分散しています。パレスチナの中で映画を作っていた頃、私は全てのパレスチナ人を描いていると思っていましたが、『Waiting』を作ってみて、それまではずっとパレスチナ人の半分だけしか描いていなかったのだと知りました。なぜかというと、パレスチナ人の全人口は800万で、パレスチナにいるのは400万人、外にいる難民が400万人。ですから『Waiting』は、「人間的な地図」の上の様々な所からパレスチナ人が参加した、珍しい作品だと思います。
(構成:石坂健治)
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【作品解説】
『外出禁止令』(1993)
マシャラーウィの長編第1作。1993年、ガザの難民キャンプ。外出禁止令下に置かれたアブー・ラージーと家族は、不安を抱えながらも隣近所と協力し合い、いつもと変わらぬ日常生活を送ろうと努める。しかし催涙ガス弾が飛来し、呼吸困難に陥った隣家の娘が死去。向かいの家の息子がイスラエル軍に逮捕され、やがては一家にも悲劇が訪れることに・・・。アラビア語原題は『次の指示があるまで』(Hatta Ishaar Akhar)。いつ終わるとも知れない外出禁止令の下で淡々と繰り返されるパレスチナ人一家の日常をスリリングに、時にユーモラスに描き出した問題作。実際に難民キャンプで40日間に及ぶ外出禁止令に見舞われた経験を持つ監督ならではのリアリティに満ちた室内劇である。
『ハイファ』(1996)
1993年、オスロ合意への調印を目前に控えたガザの難民キャンプ。精神を病んだ中年男ハイファは今日も「ヤッファ、ハイファ、アッカ!」と今はイスラエル領となってしまった町の名を叫びながら軍服姿でキャンプ内を徘徊している。綿菓子屋を営むアブー・サイードはある日突然倒れ半身不随となる一方、妻は出所が近づいた長男サイードの嫁探しに余念がない。絵描きになることを夢見る娘のサバーハは、ユーニス少年との淡い恋を育んでいる…。ハイファを狂言回しとして様々な人物のドラマが交錯し、オスロ合意という歴史的な転換期を迎えたパレスチナ人難民の夢と不安、挫折が描き出される。ハイファを演じた名優モハメド・バクリは、『ジェニン ジェニン』(02)『あなたが去ってから』(06)などのドキュメンタリー監督としても知られている。
『エルサレム行きチケット』(2002)
ラマッラー近郊の難民キャンプで妻と暮らすジャブル。子供向けの移動式映画館に心血を注ぐ彼は、数々の検問所に悩まされながらもキャンプを渡り歩く日々を送っている。ある日、女教師ラバーブに依頼されエルサレム旧市街での上映会を企画するが、そこには大きな困難が立ちはだかる。アラブ系住民とユダヤ系住民との確執、ラマッラーとエルサレムの間にある悪名高いカランディア検問所。上映会の行方やいかに…。本作の中で自らの監督作品『ハイファ』が上映されるのが見もの。なお、移動式映画館はマシャラーウィ監督自身が実際に携わっていた活動である。ジャブルの妻役を監督夫人のアレーン・ウマリが好演。エリア・スレイマン監督の『D.I.』(02)でサンタクロースに扮していたジョージ・イブラヒム(パレスチナ演劇を代表するアルカサバ・シアターを主宰する演出家)も出演している。
『Waiting』(2005)
映画監督のアハマドは国外へ移住しようとしていたが、ガザにパレスチナ国立劇場を建設中の友人から依頼され、劇場が完成した後に必要となる俳優たちを探すためのオーディションを開催・録画するはめになってしまう。アハマドは、有名女性キャスターのビーサーン、カメラマンのリュミエールとともに、ヨルダン、シリア、レバノンのパレスチナ難民キャンプを巡る旅に出る。しかし肝心のオーディション会場には、演技とは無縁の人々が押し寄せる。アハマドは苛立つが、やがて異国の地で難民生活を送る彼らと自分自身とが同じ宿命を背負った者同士であることを認識する。そんなアハマドがオーディションの課題に選んだテーマは「待つこと」であった。参加者は面食らいながら、カメラの前でそれぞれの「待つこと」を演じ始める…。「越境」「待機」「映画」といったマシャラーウィ的テーマ群が重層的に絡み合う重要作。
『ライラの誕生日』(2008)
パレスチナ社会の混沌を生きる人々の姿をスケッチし、本年9月のサン・セバスチャン国際映画祭(スペイン)でワールド・プレミア上映されたばかりの最新作。ラマッラーで妻と一人娘のライラと暮らす元判事のタクシー運転手。今日は娘の誕生日だというのに朝から物事がうまくいかない。判事職へ復帰する目処は立たず、出会う人々はひとクセある人物ばかり。法の遵守と秩序を好む彼は、この街の無秩序ぶりが気にいらない。武器を持ち歩く人々、デモ隊、携帯電話の忘れ物・・・挙句の果てにはタクシーがエンストを起こし、イスラエル軍による爆撃騒ぎにも巻き込まれる。誕生日プレゼントを買うこともままならず、怒り心頭に発した彼はとうとう拡声器を手に・・・。マシャラーウィ組の常連俳優モハメド・バクリが終盤でみせるキレた演技と秀逸なラストシーンに注目。
(文責:佐野光子)
【フィルモグラフィー(太字は今回の上映作品)】
1987 Across the Border(短編)
1989 Shelter(短編)
1991 One family: The Price of Bread(TV)
1993 外出禁止令Curfew
1996 ハイファHaifa
1998 ストレスStress(ドキュメンタリー)※山形国際ドキュメンタリー映画祭1999出品
2002 エルサレム行きチケットTicket to Jerusalem
2003 Live from Palestine(ドキュメンタリー)
2005 Waiting Waiting ※アラブ映画祭2006出品
2005 Arafat, My Brother(ドキュメンタリー)
2008 ライラの誕生日Laila’s Birthday
【マシャラーウィ発言録】
マシャラーウィ監督は、国際交流基金主催のアラブ映画祭2006に『Waiting』を携えて来日し、他のアラブ人監督たちとともにシンポジウムに登壇している。その際の発言をピックアップする。なお、シンポジウム全体の採録は下記サイトを参照されたい。
http://www.jpf.go.jp/j/culture/media/domestic/movie/arab2006_4-2.html
政治と芸術
パレスチナの監督は、いつもふたつのことを念頭に置かなくてはなりません。まずはパレスチナという特別な場所に所属するため、政治のことを語らなくてはいけない。一方で、映画祭などで自分の映画が上映されたら、どうしても他の映画と比較されますから、映画人として、芸術としても気を使わなくてはなりません。つまり政治的なことと、芸術的なこと、どちらが欠けてもパレスチナ映画としては成立しないと思います。私は実験的な映画が好きです。映画を政治的な発言をするための道具として使うのではなく、逆に政治的な状況を利用して、いい映画を作りたいと思っています。パレスチナ映画だけではなくて、世界の映画史に何かしら加えることができれば嬉しいです。
フィクションとドキュメンタリー
私たちの状況は、まるでドキュメンタリー映画みたいなものですから、私の映画はフィクションですがドキュメンタリーのように見えます。もちろん意識的にもそうしているのですが、『Waiting』自体は100%フィクションで、俳優もプロです。ふたりくらいはアマチュアでしたが、その人たちも、どこに出るかはちゃんとシナリオに書いてありました。ただドラマの中で、ドキュメンタリーのような雰囲気が出るようにしたいと思いました。映画は、その映画を作った国民に似ていなければならないと思いますから。
難民キャンプをめぐる
私たちパレスチナ人には「記録」が必要です。「資料」が必要なのです。『Waiting』は100%ドラマですから、本当は同じスタジオ、一ヵ所で撮ることが可能でした。ですが私は、それぞれの国の本当の難民キャンプに行って撮りました。そうすることで難民の本当の様子が映画の中に残り、私の映画が資料にもなりえます。私は映画を見ていただいて同情してほしいわけではありません。同情を感じてもらうために映画を作っているわけではなく、映画として楽しめるような作品を作りたいと思っています。同情をひくためでしたら、他の方法がたくさんあります。私は映画を作って、いろんな所へ届け、私が作らなければパレスチナ映画を見ることがない、というような場所までも届けたいと思います。
動けない人々をつなぐロードムービー
『Waiting』の登場人物たちは、映画の中では出会いますが、現実には出会うことはできません。というのは、ガザに住んでいる人はそこから出られないので、地理的には近くても、他の難民キャンプの人々と出会うことは一切不可能です。私たちは現実には動けない、ということです。この映画はいちおうロードムービーですが、それぞれの場所から離れることができない人々をつなぐ、ちょっと変わったロードムービーです。
パレスチナ人のふたつの地図
パレスチナ人は、ふたつの地図を持っているといえます。「地理的な地図」と「人間的な地図」です。国連に行くと、それぞれの難民キャンプを表す中東の地図があります。パレスチナ人は、その広い地図に分散しています。パレスチナの中で映画を作っていた頃、私は全てのパレスチナ人を描いていると思っていましたが、『Waiting』を作ってみて、それまではずっとパレスチナ人の半分だけしか描いていなかったのだと知りました。なぜかというと、パレスチナ人の全人口は800万で、パレスチナにいるのは400万人、外にいる難民が400万人。ですから『Waiting』は、「人間的な地図」の上の様々な所からパレスチナ人が参加した、珍しい作品だと思います。
(構成:石坂健治)