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2008.12.24
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黒澤明賞授賞記念インタビュー ニキータ・ミハルコフ監督が語る黒澤明
 04年に新設された東京国際映画祭の名誉賞で、ヒューマニズムに富み、娯楽性のある作品を数多く作り出した映画作家に贈られる黒澤明賞。2008年、中国の陳凱歌(チェン・カイコー)監督と共に、この黒澤明賞を受賞したロシアのニキータ・ミハルコフ監督にインタビューを行いました。
 生前の黒澤監督との交流、タルコフスキー、さらにミハルコフ監督の最新作についても語っていただきました。


クロサワさんは私にとって神のような存在だ



 「私にとっていちばんの幸福は、映画『乱』の撮影時に私が話したアイディアを彼が実現させてくれたことだった」
 今年の東京国際映画祭で、二キータ・ミハルコフはチェン・カイコーとともに〝黒澤明賞〟を受賞した。授賞式の前日、到着したばかりの六本木の宿泊ホテルの一室にラフな姿を見せたミハルコフは、想像通り威風堂々とした偉丈夫ぶりだった。
 「クロサワサンは私にとっては〝神様〟の存在だ。彼が気に入るような映画を作る監督に与えられる賞といわれるこの賞を受賞して私はとてもうれしい」
 ミハルコフが黒澤映画をはじめて観たのは『羅生門』。学生だった18才の頃だという。その以前は彼にとって〝抽象的な存在〟だった黒澤明の映画を、ミハルコフはそれ以来追いかけるようにして観続けた。彼が黒澤監督に逢ったのはその『乱』の撮影中で、その折2人はともに一夜を飲み明かしたのだという。
 そして、黒澤監督が一時期、映画を作れない状態だった時、彼に声をかけたのがロシア(当時のソヴィエト)の映画人たちだった。黒澤監督とロシアにはなにか特別の絆のようなものがあったのだろうか。
「私は『デルス・ウザーラ』のロシア人スタッフのことをよく知っている。クロサワサンはロシアをとても気に入って帰りたくないといっていた、ときいた。
 〝夏の予言者は祖国では受け入れられない〟ということばがある。イングマル・ベルイマンもそうだった。私の場合もかなり困難を感じることがある。ある人々にとっては、それは美学や思想の違い、そして嫉妬だったりするのかもしれない。それは一般の観客ではなくて映画人やマスコミだったりするのだが……」。
 そう、二キータ・ミハルコフは、父セルゲイが国歌作詞でも知られる劇作家、母ナターシャ・コンチャロフスカヤが児童文学の作家・詩人、そして兄アンドレイ・コンチャロフスキーが映画監督、という芸術家一家で、洗練されたエリートの出身である。しかしそうした優位性故に、彼にも様々な体験があったのかもしれない。


タルコフスキー、ソクーロフ
 二キータの兄アンドレイ・コンチャロフスキーは学生時代から故アンドレイ・タルコフスキーと友人同志で、タルコフスキーが彼らの家に出入りしていたという話をきいたことがある。
「タルコフスキーは一時、私の家に住んでいた。ただ私とは年令差がありすぎた。私は彼にウォッカを買ってこい、とかいわれていたんだ」。それにしても、なんと贅沢な幼年時代だったのだろう!
 かつて、ミハルコフはタルコフスキーに次のようなコメントを残している。
 ユーモアの同質についての質問に「ユーモアは人間にとって偉大な、民族的な守護神だ」と答えた上で、タルコフスキーとユーモアという問いに対して、
「たしかにタルコフスキーにはユーモアがありません。彼はロシアの監督ではないような気がします。彼は別の監督なのです」(原文のまま)。
では、アレクサンドル・ソクーロフは?と思いきってきいてみた。尊敬はしているが、私とはまったく違う作家だから、と想像通りの答えが返ってきた。 




今は人がなぜ生きるか、ということよりも、どうやって生きるかが問題になっている。
 最後に、最新作『12人の怒れる男』について語ってもらうことにしよう。
「この映画はシドニー・ルメット監督の映画のリメイクではない。」
 彼はかつて演劇学校の学生だった頃、ルメット映画の原作だった戯曲を舞台化したことがある。「12人の怒れる男」という素晴しい人間ドラマはおそらくミハルコフの内部に生き続けていたのだろう。
「人間は思っていることを口にしないと、それが心の内側に沈潜してやがて爆発してしまう、ということをいいたかった。現在のロシアはコーカサスの紛争やユダヤ人問題、役人の汚職など、さまざまな問題がある。
 ロシア人という民族の性格として大きな特徴は、苦悩というものに対する同情の念だ。これこそロシア人的な精神だが、最近それが消えかかっている。そうしたことを観客に考えてもらいたい、と思ったのだ」。
「今は人がなぜ生きるか、ということよりも、どうやって生きるかが問題になってしまった。時代の変化、ということなのだろう」


最新作『12人の怒れる男』DVDは2009年1月23日発売


インタビューアー:河原晶子
本記事は、12月5日発売のキネマ旬報12月下旬号掲載記事を再構成しています。



●ニキータ・ミハルコフ監督
[プロフィール]
1945年モスクワ生まれ。父は劇作家・小説家、母は児童作家・詩人という芸術家の家系に育つ。兄は映画監督のアンドレイ・ミハルコフ=コンチャロフスキー。

モスクワ芸術劇場で演技を学び、63年『私はモスクワを歩く』の演技で注目を集める。その後、国立映画大学在学中に短篇を2つ監督。70年、卒業制作として作った短編『戦いの終わりの静かな一日』が高い評価を得る。74年、『光と影のバラード』で長編劇映画デビュー。77年の『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』で、サン・セバスティアン映画祭グランプリ金貝賞を受賞。91年は『ウルガ』でヴェネツィア映画祭金獅子賞、94年は『太陽に灼かれて』でカンヌ映画祭審査員グランプリとアカデミー賞外国語映画賞を受賞。

ほかにも『愛の奴隷』(76)、『黒い瞳』(87)、 『シベリアの理髪師』(99)、前作から8年ぶりの最新作となる『12人の怒れる男』(07)など。



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