2008.10.17
[更新/お知らせ]
ディスカバー亜州電影 キム・ギヨンふたたび 魔性の「女シリーズ」を中心に---より詳しい作品解説、四方田犬彦さんとの対談などを掲載しました!
昨年来の皆様からの熱烈なアンコールに応え、韓国映画史上の怪物キム・ギヨン(金綺泳/1919-1998)をさらにクローズアップ!
その“キム・ギヨンふたたび”ディスカバー亜州電影のより詳しい作品解説、四方田犬彦さんとキム・ソヨンさんの対談を掲載、昨年行われた四方田犬彦さんと石坂健治プログラミング・ディレクターのトークショーの模様も再掲載しました!
今年も、アジアの風・ディスカバー亜州電影にどうぞご期待ください!
キム・ギヨン・フィルモグラフィーはコチラから
四方田犬彦さんとキム・ソヨンさんの対談はコチラから
四方田犬彦さんのトークショーはコチラから
【作品解説】
『陽山道』(1955)
朝鮮王朝時代。スドンとオクランは許婚同士だったが、両班(ヤンバン)の子息ムリョンがオクランを見初める。スドンとオクランは秘密裏に結婚を果たすが、逃避行の途上でムリョンの召使に見られ、スドンが誤って召使を死なせてしまう。窮地のスドンを救うため、オクランはムリョンとの結婚を承諾するが、それに絶望したスドンは自ら命を絶つ。輿入れの日、スドンの墓の前にさしかかったオクランの婚礼の行列で悲劇が起きる…。デビュー作『死の箱』(55)に続く2作目で、死と隣り合った欲望とその解放というキム・ギヨン的なテーマがはやくも展開されている。フィルムが長らく失われていたが発見され、1997年の釜山国際映画祭で復活上映された。現存する最も旧いキム・ギヨン作品である。日本初上映。
『下女』(1960)
作曲家で音楽教師のトンシクは妻チョンシムと長女、長男(子役時代のアン・ソンギが演じている)の4人家族。新しい二階建ての家が完成し、プチ・ブルジョワとしての生活を始めようとしている。トンシクが音楽を教えている工場の女工のつてで、メイドのミョンジャが家に雇われる。トンシクは妻の留守中にミョンジャと関係を持ってしまい、平和な家庭に影が忍び寄る。正妻に対して激しい嫉妬心を燃やすミョンジャは、次第に常軌を逸した言動をとりはじめ、一家は追い詰められていく。過ちを自ら清算するしか逃れる道はないと決意したトンシクはミョンジャに迫るが…。「女」シリーズの嚆矢となった作品で、登場人物の名前(夫=トンシク、妻=チョンシム、メイド=ミョンジャ)やその設定は、のちにリメイク作となる『火女』(71)、『火女’82』と基本的に同じ。日本では国際交流基金主催の「アジア映画監督シリーズ5 /韓国の二大巨匠 金綺泳&金洙容」(96)で初上映された。カンヌ映画祭2008復刻デジタル版を上映。
『高麗葬』(1963)
貧しい山村に住むグリョンは母の再婚相手の連れ子である10人の義兄弟に毒蛇をけしかけられ、幼くして片足が不自由になる。グリョンは母を養うために働きつづけるが、好きになったカンナキにふられ、やっと聾唖者の嫁をもらう。しかし嫁は義兄弟に強姦されてしまう。嫁は復讐のため長兄を誘い出して殺すが、その代償としてグリョンは嫁の命を差し出す。15年後、干魃による飢饉が襲う。村を支配する巫堂(ムーダン)は神託を得るための人身御供を村人らに求める。カンナキの娘で醜いヨンが「飢えるより死んだ方がましだ」と自ら巫堂の元へ行く。そして「孝行息子のグリョンが母親を山に捨てれば、雨が降る」という神託が下る。ついに姥捨ての日が到来する…。日本映画の『楢山節考』(1958年の木下惠介監督版、1983年の今村昌平監督版)の叙情性とは大きく異なる峻厳な世界観が見るものを圧倒する。本作は長らくラスト部分の映像が欠落していたが、2007年に韓国映画振興委員会(KOFIC)による復元版(今回の上映プリント)が完成し、ラストは完全なものとなった。なおも中間部に2箇所の欠落部が残るが、当該箇所にはKOFICによる字幕説明が施されている。日本では第20回TIFF(07)で初上映された。
『虫女』(1972)
バーで働くミョンジャは客のキムと知り合う。キムはやり手の事業家である妻にコンプレックスを感じて不能に陥っていたが、若いミョンジャと関係を持つことで男性機能を快復させる。やがてキムは生活の半分をミョンジャと同棲し、あとの半分を妻と過ごすという二重生活を送るようになる。妻は夫とミョンジャの同棲に嫉妬しながら同時に彼らを管理するようになる。やがて奇妙な三角関係がエスカレートし、キムとミョンジャは心中をはかる…。デフォルメされた舞台美術(監督自身が手がけている)が強烈な印象を残す。韓国の若手映画人たちに大きな影響を与えた一本。1984年に『肉食動物』のタイトルでリメイクされている。日本初上映。
『水女』(1979)
ベトナム戦争で足が不自由になって故郷の農村に帰還したジンスクは、美しく優しいが吃音障害を持つオクスンと結婚し生活も安定するが、生まれた子どもが吃音を受け継いでしまい、さらにジンスクの浮気が始まり、家族に亀裂が走るが…。1970年代にパク・チョンヒ(朴正熙)大統領が提唱したセマウル運動(故郷改革運動)と連動して作らされた、と監督自らが語る“セマウル映画”の1本で、他の「女シリーズ」とはテイストの異なるソフトな家族ドラマである。日本初上映。
『火女’82』(1982)
『下女』のリメイクである『火女』(71/今回は上映せず)をさらにリメイクした作品。主人のトンシク、妻のチョンシム、メイドのミョンジャという三役は同じだが、チョンシム役はトップ女優のキム・ジミ(金芝美)が演じている。「チョン・ドファン(全斗煥)政権に入って、ソウルという都市そのものが漢江の南側へ大きく発展してゆく過渡期に撮られたフィルムであるといえる。舞台となるのは前作同様に養鶏場のあるソウル近郊の家庭だが、すでに地下鉄が近くまで開通していて、大量消費社会がすぐ目の前まで到来していることが画面の端々から感じられる」(四方田犬彦)。日本初上映。
『自由処女』(1982)
美しく開放的な性格のヘリはスペイン留学から帰国して科学技術研究所で学ぶ研究生。同じ研究室のドンシクが彼女に関心を寄せているが、彼女は研究所長のゴ教授がお目当て。教授が妻との性生活の問題で自殺をはかったことを耳にしたヘリは急速に教授に接近していく。やがて二人は関係を持ち、教授の男性機能は回復するが、妻が二人の間に介入し、奇妙な三角関係が変化し始める…。社会的な成功者だが冷徹な妻、不能の夫、彼を快復させる若い女、という三役はキム・ギヨン作品の“定番”だが、本作は若い女性ヘリに焦点を当てている印象が強い。ヘリを演じたアン・ソヨンは、本作と同じ82年の大ヒット作『エマ夫人』で一躍韓国のセックス・シンボルとなった新鋭女優であった。日本初上映。
【フィルモグラフィー(太字は今回の上映作品)】
1955 死の箱 The Box of Death
1955 陽山道 Yangsan Province
1956 鳳仙花 A Touch-Me-Not
1957 女性前線 A Woman’s Front
1958 黄昏列車 The Twilight Train
1959 初雪 The First Snow
1959 十代の反抗 A Defiance of Teenagers
1960 悲しき牧歌 A Sad Patoral Song
1960 下女 The Housemaid ※国際交流基金アジア映画監督シリーズ5(96)出品
1961 玄海灘は知っている Hyeon-hae-tan Knows
1963 高麗葬 Goryeojang ※第20回TIFF(07)出品
1964 アスファルト Asphalt
1966 兵士は死して語る A Soldier Speaks after Death
1968 女(オムニバスの一篇) Woman
1969 美女、ミス洪 Lady Hong the Beauty
1969 レンの哀歌 The Sad Song of Len ※国際交流基金韓国映画プロジェクトII (01)出品
1971 火女 Woman of Fire
1972 虫女 The Insect Woman
1974 破戒 Transgression ※国際交流基金アジア映画監督シリーズ5(96)出品
1975 肉体の約束 Promise of the Flesh ※国際交流基金アジア映画監督シリーズ5(96)出品
1976 血肉愛 Love of Blood Relation
1977 異魚島 I-eo Island ※国際交流基金アジア映画監督シリーズ5(96)出品
1978 土 Earth
1978 殺人蝶を追う女 A Woman after a Killer Butterfly
1979 水女 Woman of Water
1979 ヌミ Neumi
1981 潘金蓮 Ban Geumryeon
1982 火女’82 The Woman of Fire ‘82
1982 自由処女 Free Woman
1984 馬鹿狩り Hunting of Idiots
1984 肉食動物 Carnivore ※ビデオ発売(現在は絶版)
1995 死んでもいい経験 An Experience to Die For【注】 ※国際交流基金韓国映画プロジェクトII (01)出品
【注】1990年製作の『天使は悪女になる』(Angel, Become an Evil Woman)が監督の判断で公開されず、95年に『死んでもいい経験』と改題して映画等級委員会を通過したが、公開されなかった。監督の死後、98年の釜山国際映画祭で追悼上映された。
【キム・ギヨンを語る】
キム・ギヨンは生前から多くの伝説に包まれた映画人だったが、近年しだいに作家・作品研究が盛んになっている。「自然主義者 金綺泳」の著者である四方田犬彦(明治学院大学教授)と、「韓国ファンタスティック映画―近代性の幽霊たち」でキム・ギヨン論を展開したキム・ソヨン(金素榮/韓国芸術綜合大学映像院教授)は日韓の代表的な研究者である。両者の対談での発言を“キム・ギヨン鑑賞指南”として以下にピックアップする。
●金綺泳監督というのは、映画史のなかで「自然主義者」といわれている人たちの系譜なのではないだろうか、と漠然と考えております。ナチュラリスト、あるいは生物学主義者と言いますか。つまり、人間が世界の中心であると見なすのではなく、人間なんて小動物か昆虫のようなもの、ネズミやモグラや虫みたいなものだと、非常に遠くから人間のグロテスクさ残酷さを、生物というのはこんなものだ、種族保存のためにはこんな行動をするのだと、生物学者のように見ているような感じがします。
では具体的に生物学主義の監督は誰かといいますと、私が思いつくのはエーリッヒ・フォン・シュトロハイム、ルイス・ブニュエル、初期の勅使河原宏、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー。ある国の国民が絶対に見たくないものをあえて集めて出す、そういう監督がどこの国にもひとりはいるはずです。
(四方田犬彦、「対談:哀悼が終わらない近代化」での発言、『2001韓国映画プロジェクトII カタログ』、国際交流基金、2001年)
●1989年に韓国映画学会の招きでソウルに行き、勅使河原宏の『砂の女』を上映する機会がありました。その会場に金綺泳監督もいらっしゃったのですが、「安部公房の『砂の女』は1962年に本が出た時、すぐに日本から取り寄せて読んだ。勅使河原という監督が映画を撮ったという話も聞いており、シナリオも読んだが見るのは今回が初めてだった。これはこれなりによく出来ている」とおっしゃり、「もちろんわしが撮ったら全く別のものになるがね、わっはっは」と言われました。そう思いますね。『砂の女』は本当に、金監督の女コレクションに加えていただきたかった。(四方田犬彦、同上)
●金綺泳監督作品の特徴について申し上げますと、超自然的なもの、前近代、非理想的なもの、そしてもう一つは近代的なもの、理想的なもの。普通の作品というのは、いずれか一方に軍配を上げてそれだけを描くことが多いのですが、金綺泳監督の場合にはその両者とも批判的に描いているのが特徴なのです。(…)通常は超自然的なもの、前近代的なものだけを信じている映画、あるいは近代化だけが素晴らしく、過去のものは全部なくさなければいけないといったイデオロギーを含めたプロパガンダとしての映画のいずれかが大勢を占めるのですが、金綺泳監督は観客に対して、実は両方とも問題があるのだということを強く投げかけます。そしてそれを見ている観客は、自分が所属している韓国社会から一歩引き下がり、“ためらい”を感じることになります。そのためらいは何かというと、果たして自分たちの社会におけるユートピアは何なのかと考えるようになり、今の韓国社会というものを批判的に考えるようになります。(金素榮、同上)
●金綺泳監督は儒教思想に基づく家父長制度に対しても非常に批判的な見方をしています。儒教的な家父長制度で一番大切なのは、男が子孫を残すということですが、どの作品でもそれが覆されます。(…)神話の起源の否定と同時に、儒教的家父長制度の批判が強く描かれているのが特徴だと思います。(金素榮、同上)
【昨年行われた「高麗葬」トークショーの模様を再掲載しました】
1998年に亡くなったキム・ギヨン監督。2007年10月26日(金)、「アジアの風」部門にて、幻のアジア映画を発掘・上映する特集、ディスカバー亜州電影第1回目の作品として当監督の「高麗葬」とドキュメンタリー「キム・ギヨンについて知っている二、三の事柄」が上映されました。上映後に行われた明治学院大学教授の四方田犬彦さんによるトークショーの様子をお届けします。
石坂健治プログラミング・ディレクター(以下石坂PD)
ラストシーンのフィルムは最近発見されたものです。いかがでしたか?
四方田犬彦さん(以下四方田さん)
原作は70年代に読んでいましたが、随分違うので驚いています。巷では「楢山節考」に着想を得た作品だと言われていましたが、観たら全然違いますね。
石坂PD
私は音しか聞いたことがなかったので、映像がついて驚愕しました。特に大鷲が老婆をついばむシーンなど、音だけでは何のことだか分かりませんでした。韓国の映画文化、映画産業を後押しする機関であるKOFICが“キム・ギヨンルネッサンス”の事業としてフィルムを発掘しており、虫食いだらけのフィルムをつないだところ、ラストシーンが発見されたのです。
四方田さん
キム・ギヨン監督の映画には“男ものの系譜”と“女ものの系譜”がありますが、「高麗葬」は“男もの”に分類されますね。
石坂PD
この監督の魅力はまじめなのか、冗談をやっているのか分からないところにあるかと思います。人間自然主義者というか…。
四方田さん
人間中心主義ではないということですね。「人間なんて虫けらのようなもの」といった思想の流れは世界で時々生まれます。「愚かなる妻」(1922年製作)や「グリード」(1925年製作)などで知られるエーリッヒ・フォン・シュトロハイムやルイス・ブニュエル、ロマン・ポランスキー、マノエル・デ・オリヴェイラなどがそういった思想を映像化した監督だといえます。日本だと、勅使河原宏監督の…我々はテッシーと呼んでいましたが…「砂の女」(1964年製作)や「おとし穴」(1962年製作)を思い出していただきたい。
私は1989年、韓国映画学会の連続上映会で、参考上映として日本映画をたくさん上映したことがありました。日本映画解禁前のことです。そこで「砂の女」を上映したとき、会場となっていた朝鮮日報ホールにキム・ギヨン監督もいらしていました。彼は安部公房の原作を読んで脚本も書いており、“女もの”で製作しようとしていたのだと話していました。ただ版権の問題があるので放っておいたのだそう。映画の感想を聞くと「私が撮ったらまったく別のものになっただろう」と。私はその話をテッシーに伝えていました。すると、1996年の国際交流基金でのキム・ギヨン監督特集のときにテッシーが秘書を連れて上映を観にきていました。
四方田さん
キム・ギヨン監督と増村保造監督の映画も比較できると思います。まず、二人ともに奥さんが歯医者さんであるという点。そして、女とは何かを追求した作品を生み出してきた点で共通しています。
今回のキム・ギヨンについてのドキュメンタリー「キム・ギヨンについて知っている二、三の事柄」には一点不満があります。キム・ギヨン監督に最初に注目したのは釜山より、石坂さんのほうが早かった。それなのに石坂さんのことが語られていないことが不満です。石坂さんがまずキム・ギヨンの作品を見出し、当時観ることのできた5本のフィルムを国際交流基金で上映しました。その後逆輸入的な形で韓国にブームが起きたのです。
石坂PD
しかしキム・ギヨン監督もかなりのヒットメーカーだったときがあったのですね。興行収入トップが何年か続いたと、ドキュメンタリーでは語られていました。晩年は忘れられていましたが、死ぬ2年ほど前から急にブームになった。ブームの火は東京から釜山、ベルリンへと移っていきました。ただフィルムが少なくてあまり上映することができなかった。その後22本のフィルムが発見されると、さすがフランスは手が早い、2006年にシネマテークで全作品を一挙上映しました。
四方田さん
世界の熱狂ぶりをみると、韓国のブニュエルと言っていたことを訂正しなければいけないかもしれないですね。むしろメキシコのキム・ギヨンがブニュエルだった。
石坂PD
最近ではフランスで彼の作品を観たヨーロッパ勢が上映会を自国へも広げ、次はイタリアで一挙上映されますし、この熱は当分おさまりそうにありません。
四方田さん
韓国にはほかにも注目していくべき監督がいろいろいます。たとえば繊細でユーモアがある作品を多く製作したイ・マニ監督は日本における成瀬巳喜男のように見直されていくべき監督です。シン・サンオク監督もそうです。彼は北朝鮮に拉致され怪獣映画を作らされたという驚くべき経歴をもった監督です。晩年はアメリカで忍者映画を撮ったり、カンヌ国際映画祭の審査員も務めたりもしました。
石坂PD
今回上映したドキュメンタリーでも言われていたように、監督には「見たくないものを見せる」タイプと「見たいものを見せてくれる」タイプがあり、キム・ギヨン監督はまさに前者です。韓国のアイデンティティとも言われ、国民に愛されて何度も映画化されている「春香伝」などは撮っていないですね。シン・サンオクは南でも北でも撮っていますが。
四方田さん
もしキム・ギヨン監督が「春香伝」を撮ったらと考えると面白いですね。水攻め、拷問に焦点を当てるかもしれません。悪代官の首を切るところまでやってしまうのではないでしょうか。…実際は女性の貞節の話です。
キム・ギヨン監督の作品はロベルト・ロッセリーニの「神の道化師、フランチェスコ」(1950年製作)や怪獣映画のように、人物が誇張され、アレゴリーをつくっています。「高麗葬」はまるでギリシャ神話の都市建設物語です。「10人の息子と末の弟」、「象徴的な樹」のモチーフも各地の神話に登場しますし、神話的要素が意図的に散りばめられています。ただ、多くの神話では都市ができることによって起源を語っているのに対し、「高麗葬」では起源とシャーマニズムの伝統の否定が行われています。主人公はラストシーンで超越的な予言や呪いを授ける巫堂(ムーダン)を殺し、天と地をつなぐ樹木を切り倒しました。アジア的なコスモロジーには、巨大な樹の周りに人が集まり、世界が広がっていくといったものがあります。「樹を切り倒す」行為が神話の時代の終わりを宣言し、地を耕す人間の時代が始まったことを告げて終るというのがとても面白い。
石坂PD
私は黒沢清監督の「カリスマ」(1999年製作)を思い出しました。
四方田さん
独身男が10人いる状況など、まるでガブリエル・ガルシア=マルケスの小説のようですね。
石坂PD
あるいは「おそ松くん」。あれも神話です。
四方田さん
深沢七郎の小説「東北の神武たち」も思い出しました。「神武」は「ズンム」と読むのですが。
「高麗葬」が製作された1963年は朝鮮戦争が休止されてからわずか10年。まだ身の回りには孤児や飢えがたくさんあったに違いありません。とてもアクチュアルな映画であっただろうと思います。朝鮮戦争時にも多くのものを見てきたのでしょう。ジョン・フォードにむかって「本当の戦争を知らない」と言ったという逸話もあります。彼は生き延びて映画を撮っている。平壌から逃げてきた人ですから。
石坂PD
監督自身は医者でもありました。そういった意味でも自然主義者だといえますが、作品にも動物や虫が多く登場します。10人の子供も人間ではないように見える。ちっともかわいくないし、ネズミとかそんな感じにも見えますね。
四方田さん
確かに、今のおしゃれな韓国ボーイズにはない顔ですね。
そういえば安部公房も満州から逃げてきた点や、医者である点など共通項があります。
キム・ギヨンは孤独ではない。彼の魂の血族はたくさんいます。今頃あの世でセリーヌやなんかと仲良くしているかもしれません。
石坂PD
奥さんはソウル1儲かっていた歯医者さんらしいですよ。その全てを映画資金にしていました。キム・ギヨン監督はかなり特異な人で、ふらっと3ヶ月くらい家からいなくなって、一人ラブホテル的なところにこもって、隣人の声を聞きながら脚本を書くという。電気も付けず、鬼気迫った感じで書き上げるんです。未完となった「悪女」は日本の国際交流基金の図書館で書いていました。
石坂PD
イ・チャンホ監督が弟子のようになっていましたね。キム・ギヨン監督は無神論者だったのに、亡くなる数ヶ月前にキリスト教に改宗しています。イ・チャンホ監督の勧めだったようです。ただ教会で牧師に「嘘だ!」と叫んでイ・チャンホ監督が急いで止めたという話も。
四方田さん
キリスト教ですか…。冥界でパゾリーニに会えないな。
石坂PD
ベルリンに行く数日前に自宅の火事によって夫婦ともに亡くなったという最後もすさまじいものがあります。
四方田さん
生きていらしたら怖くてこんなこと話せないですね。検閲官を怒鳴りつけて検閲させなかったという人ですから。ただ、キム・ギヨン監督は残酷な物語の背後で美しい小品を時々撮っています。ああいうものを観ると、キム・ギヨンの世界がもっと広がります。そしていつも弱者へのまなざしがある。彼の残酷さは世界をもう一度無秩序に戻したいといった欲求のように思います。
東京国際映画祭でキム・ギヨン監督の作品22本を全部上映してほしい。国際映画祭の意義とはどれだけ世界の映画史を変えられるかにあると思います。東京国際映画祭でも今回のようなレトロスペクティヴが始まったことを嬉しく思います。
キム・ギヨン監督を知るにつけ、純粋な映画ほど怖く、怪物的で、そして魅力的なものだと改めて感じました。今後はアジアの名も無き怪奇映画を研究していくつもりだという四方田さん。アジアを超越した怪物的な監督が多く発見され、そしてまた東京から世界へと発信できることを願ってやみません。(2007年10月29日に掲載した内容を再掲載。)
その“キム・ギヨンふたたび”ディスカバー亜州電影のより詳しい作品解説、四方田犬彦さんとキム・ソヨンさんの対談を掲載、昨年行われた四方田犬彦さんと石坂健治プログラミング・ディレクターのトークショーの模様も再掲載しました!
今年も、アジアの風・ディスカバー亜州電影にどうぞご期待ください!
キム・ギヨン・フィルモグラフィーはコチラから
四方田犬彦さんとキム・ソヨンさんの対談はコチラから
四方田犬彦さんのトークショーはコチラから
【作品解説】
『陽山道』(1955)
朝鮮王朝時代。スドンとオクランは許婚同士だったが、両班(ヤンバン)の子息ムリョンがオクランを見初める。スドンとオクランは秘密裏に結婚を果たすが、逃避行の途上でムリョンの召使に見られ、スドンが誤って召使を死なせてしまう。窮地のスドンを救うため、オクランはムリョンとの結婚を承諾するが、それに絶望したスドンは自ら命を絶つ。輿入れの日、スドンの墓の前にさしかかったオクランの婚礼の行列で悲劇が起きる…。デビュー作『死の箱』(55)に続く2作目で、死と隣り合った欲望とその解放というキム・ギヨン的なテーマがはやくも展開されている。フィルムが長らく失われていたが発見され、1997年の釜山国際映画祭で復活上映された。現存する最も旧いキム・ギヨン作品である。日本初上映。
『下女』(1960)
作曲家で音楽教師のトンシクは妻チョンシムと長女、長男(子役時代のアン・ソンギが演じている)の4人家族。新しい二階建ての家が完成し、プチ・ブルジョワとしての生活を始めようとしている。トンシクが音楽を教えている工場の女工のつてで、メイドのミョンジャが家に雇われる。トンシクは妻の留守中にミョンジャと関係を持ってしまい、平和な家庭に影が忍び寄る。正妻に対して激しい嫉妬心を燃やすミョンジャは、次第に常軌を逸した言動をとりはじめ、一家は追い詰められていく。過ちを自ら清算するしか逃れる道はないと決意したトンシクはミョンジャに迫るが…。「女」シリーズの嚆矢となった作品で、登場人物の名前(夫=トンシク、妻=チョンシム、メイド=ミョンジャ)やその設定は、のちにリメイク作となる『火女』(71)、『火女’82』と基本的に同じ。日本では国際交流基金主催の「アジア映画監督シリーズ5 /韓国の二大巨匠 金綺泳&金洙容」(96)で初上映された。カンヌ映画祭2008復刻デジタル版を上映。
『高麗葬』(1963)
貧しい山村に住むグリョンは母の再婚相手の連れ子である10人の義兄弟に毒蛇をけしかけられ、幼くして片足が不自由になる。グリョンは母を養うために働きつづけるが、好きになったカンナキにふられ、やっと聾唖者の嫁をもらう。しかし嫁は義兄弟に強姦されてしまう。嫁は復讐のため長兄を誘い出して殺すが、その代償としてグリョンは嫁の命を差し出す。15年後、干魃による飢饉が襲う。村を支配する巫堂(ムーダン)は神託を得るための人身御供を村人らに求める。カンナキの娘で醜いヨンが「飢えるより死んだ方がましだ」と自ら巫堂の元へ行く。そして「孝行息子のグリョンが母親を山に捨てれば、雨が降る」という神託が下る。ついに姥捨ての日が到来する…。日本映画の『楢山節考』(1958年の木下惠介監督版、1983年の今村昌平監督版)の叙情性とは大きく異なる峻厳な世界観が見るものを圧倒する。本作は長らくラスト部分の映像が欠落していたが、2007年に韓国映画振興委員会(KOFIC)による復元版(今回の上映プリント)が完成し、ラストは完全なものとなった。なおも中間部に2箇所の欠落部が残るが、当該箇所にはKOFICによる字幕説明が施されている。日本では第20回TIFF(07)で初上映された。
『虫女』(1972)
バーで働くミョンジャは客のキムと知り合う。キムはやり手の事業家である妻にコンプレックスを感じて不能に陥っていたが、若いミョンジャと関係を持つことで男性機能を快復させる。やがてキムは生活の半分をミョンジャと同棲し、あとの半分を妻と過ごすという二重生活を送るようになる。妻は夫とミョンジャの同棲に嫉妬しながら同時に彼らを管理するようになる。やがて奇妙な三角関係がエスカレートし、キムとミョンジャは心中をはかる…。デフォルメされた舞台美術(監督自身が手がけている)が強烈な印象を残す。韓国の若手映画人たちに大きな影響を与えた一本。1984年に『肉食動物』のタイトルでリメイクされている。日本初上映。
『水女』(1979)
ベトナム戦争で足が不自由になって故郷の農村に帰還したジンスクは、美しく優しいが吃音障害を持つオクスンと結婚し生活も安定するが、生まれた子どもが吃音を受け継いでしまい、さらにジンスクの浮気が始まり、家族に亀裂が走るが…。1970年代にパク・チョンヒ(朴正熙)大統領が提唱したセマウル運動(故郷改革運動)と連動して作らされた、と監督自らが語る“セマウル映画”の1本で、他の「女シリーズ」とはテイストの異なるソフトな家族ドラマである。日本初上映。
『火女’82』(1982)
『下女』のリメイクである『火女』(71/今回は上映せず)をさらにリメイクした作品。主人のトンシク、妻のチョンシム、メイドのミョンジャという三役は同じだが、チョンシム役はトップ女優のキム・ジミ(金芝美)が演じている。「チョン・ドファン(全斗煥)政権に入って、ソウルという都市そのものが漢江の南側へ大きく発展してゆく過渡期に撮られたフィルムであるといえる。舞台となるのは前作同様に養鶏場のあるソウル近郊の家庭だが、すでに地下鉄が近くまで開通していて、大量消費社会がすぐ目の前まで到来していることが画面の端々から感じられる」(四方田犬彦)。日本初上映。
『自由処女』(1982)
美しく開放的な性格のヘリはスペイン留学から帰国して科学技術研究所で学ぶ研究生。同じ研究室のドンシクが彼女に関心を寄せているが、彼女は研究所長のゴ教授がお目当て。教授が妻との性生活の問題で自殺をはかったことを耳にしたヘリは急速に教授に接近していく。やがて二人は関係を持ち、教授の男性機能は回復するが、妻が二人の間に介入し、奇妙な三角関係が変化し始める…。社会的な成功者だが冷徹な妻、不能の夫、彼を快復させる若い女、という三役はキム・ギヨン作品の“定番”だが、本作は若い女性ヘリに焦点を当てている印象が強い。ヘリを演じたアン・ソヨンは、本作と同じ82年の大ヒット作『エマ夫人』で一躍韓国のセックス・シンボルとなった新鋭女優であった。日本初上映。
【フィルモグラフィー(太字は今回の上映作品)】
1955 死の箱 The Box of Death
1955 陽山道 Yangsan Province
1956 鳳仙花 A Touch-Me-Not
1957 女性前線 A Woman’s Front
1958 黄昏列車 The Twilight Train
1959 初雪 The First Snow
1959 十代の反抗 A Defiance of Teenagers
1960 悲しき牧歌 A Sad Patoral Song
1960 下女 The Housemaid ※国際交流基金アジア映画監督シリーズ5(96)出品
1961 玄海灘は知っている Hyeon-hae-tan Knows
1963 高麗葬 Goryeojang ※第20回TIFF(07)出品
1964 アスファルト Asphalt
1966 兵士は死して語る A Soldier Speaks after Death
1968 女(オムニバスの一篇) Woman
1969 美女、ミス洪 Lady Hong the Beauty
1969 レンの哀歌 The Sad Song of Len ※国際交流基金韓国映画プロジェクトII (01)出品
1971 火女 Woman of Fire
1972 虫女 The Insect Woman
1974 破戒 Transgression ※国際交流基金アジア映画監督シリーズ5(96)出品
1975 肉体の約束 Promise of the Flesh ※国際交流基金アジア映画監督シリーズ5(96)出品
1976 血肉愛 Love of Blood Relation
1977 異魚島 I-eo Island ※国際交流基金アジア映画監督シリーズ5(96)出品
1978 土 Earth
1978 殺人蝶を追う女 A Woman after a Killer Butterfly
1979 水女 Woman of Water
1979 ヌミ Neumi
1981 潘金蓮 Ban Geumryeon
1982 火女’82 The Woman of Fire ‘82
1982 自由処女 Free Woman
1984 馬鹿狩り Hunting of Idiots
1984 肉食動物 Carnivore ※ビデオ発売(現在は絶版)
1995 死んでもいい経験 An Experience to Die For【注】 ※国際交流基金韓国映画プロジェクトII (01)出品
【注】1990年製作の『天使は悪女になる』(Angel, Become an Evil Woman)が監督の判断で公開されず、95年に『死んでもいい経験』と改題して映画等級委員会を通過したが、公開されなかった。監督の死後、98年の釜山国際映画祭で追悼上映された。
【キム・ギヨンを語る】
キム・ギヨンは生前から多くの伝説に包まれた映画人だったが、近年しだいに作家・作品研究が盛んになっている。「自然主義者 金綺泳」の著者である四方田犬彦(明治学院大学教授)と、「韓国ファンタスティック映画―近代性の幽霊たち」でキム・ギヨン論を展開したキム・ソヨン(金素榮/韓国芸術綜合大学映像院教授)は日韓の代表的な研究者である。両者の対談での発言を“キム・ギヨン鑑賞指南”として以下にピックアップする。
●金綺泳監督というのは、映画史のなかで「自然主義者」といわれている人たちの系譜なのではないだろうか、と漠然と考えております。ナチュラリスト、あるいは生物学主義者と言いますか。つまり、人間が世界の中心であると見なすのではなく、人間なんて小動物か昆虫のようなもの、ネズミやモグラや虫みたいなものだと、非常に遠くから人間のグロテスクさ残酷さを、生物というのはこんなものだ、種族保存のためにはこんな行動をするのだと、生物学者のように見ているような感じがします。
では具体的に生物学主義の監督は誰かといいますと、私が思いつくのはエーリッヒ・フォン・シュトロハイム、ルイス・ブニュエル、初期の勅使河原宏、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー。ある国の国民が絶対に見たくないものをあえて集めて出す、そういう監督がどこの国にもひとりはいるはずです。
(四方田犬彦、「対談:哀悼が終わらない近代化」での発言、『2001韓国映画プロジェクトII カタログ』、国際交流基金、2001年)
●1989年に韓国映画学会の招きでソウルに行き、勅使河原宏の『砂の女』を上映する機会がありました。その会場に金綺泳監督もいらっしゃったのですが、「安部公房の『砂の女』は1962年に本が出た時、すぐに日本から取り寄せて読んだ。勅使河原という監督が映画を撮ったという話も聞いており、シナリオも読んだが見るのは今回が初めてだった。これはこれなりによく出来ている」とおっしゃり、「もちろんわしが撮ったら全く別のものになるがね、わっはっは」と言われました。そう思いますね。『砂の女』は本当に、金監督の女コレクションに加えていただきたかった。(四方田犬彦、同上)
●金綺泳監督作品の特徴について申し上げますと、超自然的なもの、前近代、非理想的なもの、そしてもう一つは近代的なもの、理想的なもの。普通の作品というのは、いずれか一方に軍配を上げてそれだけを描くことが多いのですが、金綺泳監督の場合にはその両者とも批判的に描いているのが特徴なのです。(…)通常は超自然的なもの、前近代的なものだけを信じている映画、あるいは近代化だけが素晴らしく、過去のものは全部なくさなければいけないといったイデオロギーを含めたプロパガンダとしての映画のいずれかが大勢を占めるのですが、金綺泳監督は観客に対して、実は両方とも問題があるのだということを強く投げかけます。そしてそれを見ている観客は、自分が所属している韓国社会から一歩引き下がり、“ためらい”を感じることになります。そのためらいは何かというと、果たして自分たちの社会におけるユートピアは何なのかと考えるようになり、今の韓国社会というものを批判的に考えるようになります。(金素榮、同上)
●金綺泳監督は儒教思想に基づく家父長制度に対しても非常に批判的な見方をしています。儒教的な家父長制度で一番大切なのは、男が子孫を残すということですが、どの作品でもそれが覆されます。(…)神話の起源の否定と同時に、儒教的家父長制度の批判が強く描かれているのが特徴だと思います。(金素榮、同上)
【昨年行われた「高麗葬」トークショーの模様を再掲載しました】
1998年に亡くなったキム・ギヨン監督。2007年10月26日(金)、「アジアの風」部門にて、幻のアジア映画を発掘・上映する特集、ディスカバー亜州電影第1回目の作品として当監督の「高麗葬」とドキュメンタリー「キム・ギヨンについて知っている二、三の事柄」が上映されました。上映後に行われた明治学院大学教授の四方田犬彦さんによるトークショーの様子をお届けします。
石坂健治プログラミング・ディレクター(以下石坂PD)
ラストシーンのフィルムは最近発見されたものです。いかがでしたか?
四方田犬彦さん(以下四方田さん)
原作は70年代に読んでいましたが、随分違うので驚いています。巷では「楢山節考」に着想を得た作品だと言われていましたが、観たら全然違いますね。
石坂PD
私は音しか聞いたことがなかったので、映像がついて驚愕しました。特に大鷲が老婆をついばむシーンなど、音だけでは何のことだか分かりませんでした。韓国の映画文化、映画産業を後押しする機関であるKOFICが“キム・ギヨンルネッサンス”の事業としてフィルムを発掘しており、虫食いだらけのフィルムをつないだところ、ラストシーンが発見されたのです。
四方田さん
キム・ギヨン監督の映画には“男ものの系譜”と“女ものの系譜”がありますが、「高麗葬」は“男もの”に分類されますね。
石坂PD
この監督の魅力はまじめなのか、冗談をやっているのか分からないところにあるかと思います。人間自然主義者というか…。
四方田さん
人間中心主義ではないということですね。「人間なんて虫けらのようなもの」といった思想の流れは世界で時々生まれます。「愚かなる妻」(1922年製作)や「グリード」(1925年製作)などで知られるエーリッヒ・フォン・シュトロハイムやルイス・ブニュエル、ロマン・ポランスキー、マノエル・デ・オリヴェイラなどがそういった思想を映像化した監督だといえます。日本だと、勅使河原宏監督の…我々はテッシーと呼んでいましたが…「砂の女」(1964年製作)や「おとし穴」(1962年製作)を思い出していただきたい。
私は1989年、韓国映画学会の連続上映会で、参考上映として日本映画をたくさん上映したことがありました。日本映画解禁前のことです。そこで「砂の女」を上映したとき、会場となっていた朝鮮日報ホールにキム・ギヨン監督もいらしていました。彼は安部公房の原作を読んで脚本も書いており、“女もの”で製作しようとしていたのだと話していました。ただ版権の問題があるので放っておいたのだそう。映画の感想を聞くと「私が撮ったらまったく別のものになっただろう」と。私はその話をテッシーに伝えていました。すると、1996年の国際交流基金でのキム・ギヨン監督特集のときにテッシーが秘書を連れて上映を観にきていました。
四方田さん
キム・ギヨン監督と増村保造監督の映画も比較できると思います。まず、二人ともに奥さんが歯医者さんであるという点。そして、女とは何かを追求した作品を生み出してきた点で共通しています。
今回のキム・ギヨンについてのドキュメンタリー「キム・ギヨンについて知っている二、三の事柄」には一点不満があります。キム・ギヨン監督に最初に注目したのは釜山より、石坂さんのほうが早かった。それなのに石坂さんのことが語られていないことが不満です。石坂さんがまずキム・ギヨンの作品を見出し、当時観ることのできた5本のフィルムを国際交流基金で上映しました。その後逆輸入的な形で韓国にブームが起きたのです。
石坂PD
しかしキム・ギヨン監督もかなりのヒットメーカーだったときがあったのですね。興行収入トップが何年か続いたと、ドキュメンタリーでは語られていました。晩年は忘れられていましたが、死ぬ2年ほど前から急にブームになった。ブームの火は東京から釜山、ベルリンへと移っていきました。ただフィルムが少なくてあまり上映することができなかった。その後22本のフィルムが発見されると、さすがフランスは手が早い、2006年にシネマテークで全作品を一挙上映しました。
四方田さん
世界の熱狂ぶりをみると、韓国のブニュエルと言っていたことを訂正しなければいけないかもしれないですね。むしろメキシコのキム・ギヨンがブニュエルだった。
石坂PD
最近ではフランスで彼の作品を観たヨーロッパ勢が上映会を自国へも広げ、次はイタリアで一挙上映されますし、この熱は当分おさまりそうにありません。
四方田さん
韓国にはほかにも注目していくべき監督がいろいろいます。たとえば繊細でユーモアがある作品を多く製作したイ・マニ監督は日本における成瀬巳喜男のように見直されていくべき監督です。シン・サンオク監督もそうです。彼は北朝鮮に拉致され怪獣映画を作らされたという驚くべき経歴をもった監督です。晩年はアメリカで忍者映画を撮ったり、カンヌ国際映画祭の審査員も務めたりもしました。
石坂PD
今回上映したドキュメンタリーでも言われていたように、監督には「見たくないものを見せる」タイプと「見たいものを見せてくれる」タイプがあり、キム・ギヨン監督はまさに前者です。韓国のアイデンティティとも言われ、国民に愛されて何度も映画化されている「春香伝」などは撮っていないですね。シン・サンオクは南でも北でも撮っていますが。
四方田さん
もしキム・ギヨン監督が「春香伝」を撮ったらと考えると面白いですね。水攻め、拷問に焦点を当てるかもしれません。悪代官の首を切るところまでやってしまうのではないでしょうか。…実際は女性の貞節の話です。
キム・ギヨン監督の作品はロベルト・ロッセリーニの「神の道化師、フランチェスコ」(1950年製作)や怪獣映画のように、人物が誇張され、アレゴリーをつくっています。「高麗葬」はまるでギリシャ神話の都市建設物語です。「10人の息子と末の弟」、「象徴的な樹」のモチーフも各地の神話に登場しますし、神話的要素が意図的に散りばめられています。ただ、多くの神話では都市ができることによって起源を語っているのに対し、「高麗葬」では起源とシャーマニズムの伝統の否定が行われています。主人公はラストシーンで超越的な予言や呪いを授ける巫堂(ムーダン)を殺し、天と地をつなぐ樹木を切り倒しました。アジア的なコスモロジーには、巨大な樹の周りに人が集まり、世界が広がっていくといったものがあります。「樹を切り倒す」行為が神話の時代の終わりを宣言し、地を耕す人間の時代が始まったことを告げて終るというのがとても面白い。
石坂PD
私は黒沢清監督の「カリスマ」(1999年製作)を思い出しました。
四方田さん
独身男が10人いる状況など、まるでガブリエル・ガルシア=マルケスの小説のようですね。
石坂PD
あるいは「おそ松くん」。あれも神話です。
四方田さん
深沢七郎の小説「東北の神武たち」も思い出しました。「神武」は「ズンム」と読むのですが。
「高麗葬」が製作された1963年は朝鮮戦争が休止されてからわずか10年。まだ身の回りには孤児や飢えがたくさんあったに違いありません。とてもアクチュアルな映画であっただろうと思います。朝鮮戦争時にも多くのものを見てきたのでしょう。ジョン・フォードにむかって「本当の戦争を知らない」と言ったという逸話もあります。彼は生き延びて映画を撮っている。平壌から逃げてきた人ですから。
石坂PD
監督自身は医者でもありました。そういった意味でも自然主義者だといえますが、作品にも動物や虫が多く登場します。10人の子供も人間ではないように見える。ちっともかわいくないし、ネズミとかそんな感じにも見えますね。
四方田さん
確かに、今のおしゃれな韓国ボーイズにはない顔ですね。
そういえば安部公房も満州から逃げてきた点や、医者である点など共通項があります。
キム・ギヨンは孤独ではない。彼の魂の血族はたくさんいます。今頃あの世でセリーヌやなんかと仲良くしているかもしれません。
石坂PD
奥さんはソウル1儲かっていた歯医者さんらしいですよ。その全てを映画資金にしていました。キム・ギヨン監督はかなり特異な人で、ふらっと3ヶ月くらい家からいなくなって、一人ラブホテル的なところにこもって、隣人の声を聞きながら脚本を書くという。電気も付けず、鬼気迫った感じで書き上げるんです。未完となった「悪女」は日本の国際交流基金の図書館で書いていました。
石坂PD
イ・チャンホ監督が弟子のようになっていましたね。キム・ギヨン監督は無神論者だったのに、亡くなる数ヶ月前にキリスト教に改宗しています。イ・チャンホ監督の勧めだったようです。ただ教会で牧師に「嘘だ!」と叫んでイ・チャンホ監督が急いで止めたという話も。
四方田さん
キリスト教ですか…。冥界でパゾリーニに会えないな。
石坂PD
ベルリンに行く数日前に自宅の火事によって夫婦ともに亡くなったという最後もすさまじいものがあります。
四方田さん
生きていらしたら怖くてこんなこと話せないですね。検閲官を怒鳴りつけて検閲させなかったという人ですから。ただ、キム・ギヨン監督は残酷な物語の背後で美しい小品を時々撮っています。ああいうものを観ると、キム・ギヨンの世界がもっと広がります。そしていつも弱者へのまなざしがある。彼の残酷さは世界をもう一度無秩序に戻したいといった欲求のように思います。
東京国際映画祭でキム・ギヨン監督の作品22本を全部上映してほしい。国際映画祭の意義とはどれだけ世界の映画史を変えられるかにあると思います。東京国際映画祭でも今回のようなレトロスペクティヴが始まったことを嬉しく思います。
キム・ギヨン監督を知るにつけ、純粋な映画ほど怖く、怪物的で、そして魅力的なものだと改めて感じました。今後はアジアの名も無き怪奇映画を研究していくつもりだという四方田さん。アジアを超越した怪物的な監督が多く発見され、そしてまた東京から世界へと発信できることを願ってやみません。(2007年10月29日に掲載した内容を再掲載。)