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2008.12.22
[更新/お知らせ]
黒澤明賞授賞記念インタビュー 陳凱歌(チェン・カイコー)監督が語る黒澤明


 日本が世界に誇る故・黒澤明監督の業績を長く後世に伝え、豊かな日本文化の再創造への象徴として、また広く日本文化を世界へアピールすることを目的として創設された黒澤明賞。故・黒澤明監督作品と同様に、ヒューマニズムに貫かれ、かつ娯楽性豊かな優れた作品を数多く製作し続けた映画人に贈られてきました。
 今回、この賞の栄誉に浴したのは『さらば、わが愛 〜覇王別姫〜』で第6回東京国際映画祭に出品経験のある陳凱歌監督と、『太陽に灼かれて』でカンヌ映画祭審査員グランプリを獲得したニキータ・ミハルコフ監督。
 授賞記者会見後行われたインタビューで、黒澤明監督についての想いを語っていただきました。

黒澤明の映画は日本的なテーマを扱いながら、必ず世界に通じる
 1950年代生まれで長編監督作わずか10本にして東京国際映画祭「黒澤明賞」を受賞した中国の陳凱歌監督。彼は、この賞の歴代受賞者としては際立って若い。同時受賞者のニキータ・ミハルコフや、かつて同じアジアから同賞を受賞した侯孝賢が生前の黒澤と実際に接点があったのに対し、陳凱歌の場合は、世代の離れ方、そして黒澤作品が必ずしもポピュラーには処遇されてこなかった過去を持つ中国の出身ということもあって、黒澤明との接点は直接的にも間接的にも俄かには見出し難い。

 「私にとっても、黒澤明はずっと雲の上の人のように見つめ続けてきた存在です」と陳凱歌。
 「我々の世代にとって、彼の凄さを知ったのは北京電影学院に入ってからということになりますが、それ以来、常に奇跡に立ち会っているかのように偉大な映画を作る人として、尊敬してきました。日本的なテーマを扱いながら、それが必ず世界に通じるものとなっているところに、特に敬意を感じます。
 『羅生門』の、誰が本当に正しいのかわからないという描き方、人によって一つの事実に対し異なった見解があるのだという世界観は、特に私に大きな影響を与えてくれました。『七人の侍』では、戦国時代のごく平凡な男たちを主軸に、人間のあるべき感性や生きざまを見事に描き出している点が、素晴らしい。
 また『どですかでん』での戦後日本社会のリアリティの切り取り方、『生きる』での父と子の情愛の描写、『乱』での仲代達也の、まるで黒澤明本人を演じているかのような凄まじい存在感など、数多くの黒澤作品に感銘を受け、敬意を抱き続けてきました」



黒澤の戦争通過体験は私の文化大革命通過体験と重なる
 こうした彼の黒澤明論を聞いた上で改めてたとえば『始皇帝暗殺』を見ると、そこに描かれた始皇帝や荊軻の強靭ではない普通の人間としての姿には、なるほど彼の黒澤体験が反映しているようにも、そして意外と両監督の世界観が似ているようにも見えてくる。実際「雲の上の人」のような存在だった黒澤明監督でありながら、陳凱歌は一方で彼にとても近しさを覚え、親しみを感じることがあるのだという。
「実際、私は時に、自分こそが黒澤明の最も忠実な弟子なのではないかと考えることがあります(笑)。まず彼は、とても偉大な巨匠でありながら、その人生観には妙に悲観的なところが垣間見えたり、行動が子供っぽかったりするところがある。そんな部分にとても親しみを感じるんですね。
 そしてもう一つは、彼の戦争体験。黒澤監督は戦前から映画の道を歩んではいましたが、映画作家・黒澤明としての偉大な出発は、やはり戦後からだったと思います。それは、単にその年代から映画を撮り始めたということではなく、本当に戦争という体験を通過した上で映画を創り始めた作家だ、という意味です。
 私は、彼が敗戦を迎えた時、どのようにして自分の思想をそこで構築して映画作家として出発したのかということに、とても興味がある。なぜなら黒澤の戦争通過体験は、私自身の文化大革命通過体験と重なるものがあるように思えるからです。戦争も文革も共に苛酷な動乱であり、私もそこを通過した上で映画作家として仕事を始めました。それゆえ、私は黒澤監督に共感を覚えてしまう。とはいえ彼は戦後60年もの間、その体験に向き合ってきた人。一方の私は、まだ30年の月日しか、文革の体験に向き合ってはいません。だからやはり、私はまだまだ黒澤監督には及ばないのです」

インタビューアー:暉峻創三
本記事は、12月5日発売のキネマ旬報12月下旬号掲載記事を再構成しています。



●陳凱歌(チェン・カイコー)監督
[プロフィール]
1952年中国・北京生まれ。1982年に北京電影学院監督科卒業後、北京映画製作所に入り、さらに広西映画製作所に転属。1984年に『黄色い大地』で監督デビューし、翌年のロカルノ国際映画祭銀賞、香港国際映画祭金鶏賞及び最優秀撮影賞を受賞し、中国第五世代の代表的監督として世界の注目を集める。

以後、『大閲兵』『子供たちの王様』『人生は琴の弦ように』を監督。『さらば、わが愛-覇王別姫』で1993年のカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞。

ほかにも『花の影』(96)、『始皇帝暗殺』(98)、ハリウッドに渡った作品『キリング・ミー・ソフトリー』(01)、『北京ヴァイオリン』(02)、アジアのオールスターキャストを集結させた『PROMISE プロミス』(05)など。




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