2007.11.27
[更新/お知らせ]
映画批評家プロジェクト◆昨年の入賞者が寄せた作品レビュー
昨年から、批評家のプロを育てる場として始まった「映画批評家プロジェクト」。コンペティション上映作品を対象として募集した批評文のなかから“優秀賞”と“佳作”を選出します。授賞作品は来年1月下旬に本サイトに掲載予定。批評家を志す未知の才能は、どのような視点で作品をとらえるのか、今から結果が楽しみです。
授賞の発表に先立ち、昨年の入賞者による作品レビューをご紹介いたします。

社内懸賞でペア旅行券が当たったマリナ。だが一緒に行く友だちがいない。そこに「同じ学校だった」と名乗る男が現われる。彼は果たして何者なのか。これがハリウッド映画であればサスペンスフルなミステリーへと転ずるところだが、本作ではそうはならない。
題名の「青い瞼」は主人公マリナがつけるブルーのアイシャドーのことである。と同時に本編に登場する赤い小鳥の目のまわりもまた青い。「情熱」の赤に対して、「寂しさ」の青。飼い慣らされた小鳥は空へと放たれるが、鳥も人間も孤独には生きてゆけない。だからといってマリナには愛に燃えるような情熱はない。
雨が降りしきる夜、トンネルの出口をまえにして2人を乗せた車がエンストしてしまう。先に進むべきか、別れるべきか。人生を暗示するこのシーンで、2人は何を語るのか。エルネスト・コントレラス監督は都会に生きる人々の今日的なテーマを提示してみせる。
→作品情報詳細

「迷子の警察音楽隊」は冒頭からオフ・ビートなユーモアを存分に発揮する。イスラエルに招かれたはずのエジプトの警察音楽隊のメンバーたちだったが、何故か迎えは来ていない。なんとかバスで辿り着いたはずの場所は間違いで、人々に忘れられたような街であった。畏まった制服のまま砂漠のような街に立ち尽くす彼らは笑みを誘う。そして映画は、彼らとその街の住人の、一晩の、出来事を描く。国家間の、或いは個々の家庭の、過去の重苦しい諍いの軋み、にも関わらず心を通わせようと、努力する彼らを描く。そこでは当然ながら音楽が主人公になる。若者が口ずさむ「マイ・ファニー・バレンタイン」、食卓で思いがけず合唱になる「サマー・タイム」。しかしそれらはその場の雰囲気をふと和ませただけで、すっと去ってしまう。隊長に対する食堂の女主人の誘惑のように、それらの音楽はぎこちなく、どこか場違いで、私たちはその歌が口ずさまれた瞬間陶然としたのと同じくらい、その歌が止んでしまった時せつなくなる。私たちはその邂逅が、ぎこちない魂の触れ合いが、小鳥のような求愛が、ずっと続くことを願う。しかし無常にも夜は明け、別れの時は来る。
彼らはこの一晩で一体何を得たのだろうか? それは間違いによる、単なる寄り道に過ぎないのだろうか? ふと芽生えたそんな疑問を、隊長の力強い歌声が掻き消す。隊長の指揮により、みんなの音楽がひとつになる。私たちは理解する、彼らの音楽はもう途切れないこと、彼ら一人一人が、自分の音楽を取り戻し、自分自身の人生、平凡でも孤独だろうとも、たったひとつしかないかけがえのない人生を、その先ずっと、その音楽で満たしていくだろうということを。
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授賞の発表に先立ち、昨年の入賞者による作品レビューをご紹介いたします。
「青い瞼(まぶた)」 第1回映画批評家プロジェクト入賞 鶴原顕央

Tonatiuh Martinez/Agencia SHA
社内懸賞でペア旅行券が当たったマリナ。だが一緒に行く友だちがいない。そこに「同じ学校だった」と名乗る男が現われる。彼は果たして何者なのか。これがハリウッド映画であればサスペンスフルなミステリーへと転ずるところだが、本作ではそうはならない。
題名の「青い瞼」は主人公マリナがつけるブルーのアイシャドーのことである。と同時に本編に登場する赤い小鳥の目のまわりもまた青い。「情熱」の赤に対して、「寂しさ」の青。飼い慣らされた小鳥は空へと放たれるが、鳥も人間も孤独には生きてゆけない。だからといってマリナには愛に燃えるような情熱はない。
雨が降りしきる夜、トンネルの出口をまえにして2人を乗せた車がエンストしてしまう。先に進むべきか、別れるべきか。人生を暗示するこのシーンで、2人は何を語るのか。エルネスト・コントレラス監督は都会に生きる人々の今日的なテーマを提示してみせる。
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「素晴らしき遅延 ―迷子の警察音楽隊」 第1回映画批評家プロジェクト入賞 夏目深雪

「迷子の警察音楽隊」は冒頭からオフ・ビートなユーモアを存分に発揮する。イスラエルに招かれたはずのエジプトの警察音楽隊のメンバーたちだったが、何故か迎えは来ていない。なんとかバスで辿り着いたはずの場所は間違いで、人々に忘れられたような街であった。畏まった制服のまま砂漠のような街に立ち尽くす彼らは笑みを誘う。そして映画は、彼らとその街の住人の、一晩の、出来事を描く。国家間の、或いは個々の家庭の、過去の重苦しい諍いの軋み、にも関わらず心を通わせようと、努力する彼らを描く。そこでは当然ながら音楽が主人公になる。若者が口ずさむ「マイ・ファニー・バレンタイン」、食卓で思いがけず合唱になる「サマー・タイム」。しかしそれらはその場の雰囲気をふと和ませただけで、すっと去ってしまう。隊長に対する食堂の女主人の誘惑のように、それらの音楽はぎこちなく、どこか場違いで、私たちはその歌が口ずさまれた瞬間陶然としたのと同じくらい、その歌が止んでしまった時せつなくなる。私たちはその邂逅が、ぎこちない魂の触れ合いが、小鳥のような求愛が、ずっと続くことを願う。しかし無常にも夜は明け、別れの時は来る。
彼らはこの一晩で一体何を得たのだろうか? それは間違いによる、単なる寄り道に過ぎないのだろうか? ふと芽生えたそんな疑問を、隊長の力強い歌声が掻き消す。隊長の指揮により、みんなの音楽がひとつになる。私たちは理解する、彼らの音楽はもう途切れないこと、彼ら一人一人が、自分の音楽を取り戻し、自分自身の人生、平凡でも孤独だろうとも、たったひとつしかないかけがえのない人生を、その先ずっと、その音楽で満たしていくだろうということを。
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